3月11日、10年経ちました。
古いブログにはおそらく何かしら震災関連のことを書いているはずだけれど、もう簡単には見られないのでとりあえず何書いたかは置いておくとして。
記憶に残っていることを少し書いておこうかなと思います。
10年の3月11日前後といえば、前の日の10日に歯根嚢胞摘出の手術を受けたんですよねぇ。歯の根元に膿がたまるというものでこの手術は人生で2回めでした。そんなわけで前日10日の最後のツイがこれです。
相変わらず血が止まるの遅いなぁ….、ちっ。(あ、ギャグじゃないよ)
— hichako (@hichakotan) March 10, 2011
日付が変わってからも鎮痛剤が切れかけとか朝には腫れたアゴを嘆いています。
過去のツイートを見て気がついたのが、このツイート。
三陸沖、ほぼ同じ場所が震源みたい
— hichako (@hichakotan) March 9, 2011
震災の2〜3日前にもそこそこ大きな地震が起きていたわけですが、なんと、私、一応ちゃんと意識が向いていた模様。震源地も気にしてる…、これは完全に忘れてしまっていて、今回はじめて気づきました。
実はちょうど地震発生の時刻は術後経過観察と消毒と鎮痛剤をもらうために歯医者にいました。
院内にFMがかかっていてちょうど「上を見て歩こう」が流れていたのを覚えています。この曲と聞いたときの情景が東北の地震の記憶と紐付いてしまっているので、曲を聞けばあの日を思い出し、東北の震災のことを見たり思い出したりすると曲と歯医者での情景を思い出します。
家に帰って改めてTVやネットを見て愕然としたのを覚えてます。
ただやはりあまり情報がなく、ないなりに現状を知りたくてネットに主にTwitterにかじりつく日が始まりました。
【11日のツイート】
たぶん歯医者から帰ってきてしばらくはTVを見てた気がします。
でも情報は限られているのでネットを見ることにしたんじゃないかな?
関東圏のフォロワーさんたちがTwitterを見て情報が取れたらいいなとそういった情報をツイしはじめた1つめがGoogleのパーソンファインダー。
当時、すでにあったんですねぇこれ。
当時は企業の公式アカウントも少なくて、ウェブサイトを見るしかなかったという時代。今はライフライン情報もTwitterで流れますけどね、この震災で一気にそういった活用が広がりましたよね。
ま、私は基本的な使い方はあまり変わってない感じですけど。
昨日、YouTubeで見つけました。
10年、長いのか短いのか、少しずつの風景の変化を見るとやはり被害の大きさの関係で進みが遅いのだろうなという感じがします。
10年経つまでには一度東北に行けているかなと漠然と思ってきたのだけどまだ行けていません。思いとは裏腹に実現しない程度には10年という時間は短いということかもしれないなと今回思いました。
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